雑記 デュラハン

デュラハンについて

女騎士のうわさの出所は首を供物として捧げられたマッハ(ヴァハ)女神から

この女神について留意するべき点は、むしろ首を捧げられる立場(首を食うともされる)である事、強力な呪いを持つこと、赤い一本足の馬に戦車、赤い装束を纏うという点での現在のデュラハン像との相違である。

もし、ガウェインと緑の騎士に デュラハンの 原型が残っていると考えるなら、モルガン・ル・フェイ(マッハの三姉妹の一人にして三位一体の女神が原型)が騎士を 緑の騎士= デュラハンに変えて呪うという側面が窺える。更には緑の装束により、バンシー(マッハの姉妹 バズヴにしばしば結び付けられている)との関連付けもここでの話から派生しやすいだろう。ケルトでの緑色の象徴は再生といった正の面もあるが、不運や死、特に緑が金と組み合わされると場合は若者の死を表すことになる。

よってデュラハンの原型は黒馬・馬車コシュタ・バワーに関連するデス・コーチといったものから黒き神、クロム・ダブ、黒く曲がったクロム・クルアハの方が根源に近いのではと愚考する。

これらの黒き神はミレー族(ミュール?族)の神であり、ミレー族は頭に魂が宿るという信仰を持っていた。厄介なことにその内のクロム・クルアハがマッハを倒したとあったり、マッハは何度も転生を繰り返しておりミレー族の王女として生まれ落ちた事もあるとされる点である。マッハの頭を供物にするという要素が元々あったものか、ミレー族に結びついて肉付けされたかで大分話が違ってくるようにも思う。

クロム・クルアハが対立するマッハの首を斬り落としたとするなら、マッハが金と銀の装飾を持つクロム・クルアハを嫌うようにデュラハンとして金を忌避する要素を持つのも納得なのだが、緑の騎士からの連想でデュラハンを統括する女神の要素がその立場を混迷させてくる。対立と断頭の要素がめちゃくちゃになっているのである……。

またキリスト教のパトリキウス僧侶が金と銀で飾られたクロム・クルアハの像を倒したとあり、デュラハンが金を忌避するのはその皮肉である可能性もある。ガウェイン卿と緑の騎士の話は14世紀のもので、パトリキウスは5世紀の人物。パトリキウスの祝祭に人々は緑の衣服をつけて参加する。

これ、リンゴを取りに上って降りれられなくなった悪魔をだましたジャック・オー・ランタンを思い出すな。

 

追記

クー・フーリンから連想されるデュラハン

『クー・フーリンの死』というこの英雄の死によって閉じる話は、現代のデュラハン像へつながる要素が多くある。物語の部分は簡略してまとめたものが以下のものだ。

まず、クー・フーリンが最後の戦場に向かう前、母デヒティネが飲み物を飲ませようと桶(vat)をクー・フーリンに渡す。すると桶は飲み物の代わりに血を満たしたのだ。デヒティネは三度試みたがいずれも桶は血に満ち、三度目でクー・フーリンは怒りその桶を岩に投げつけて粉砕する。 この血桶は命運に見放された事を示しているとクーフーリンは悟っていた。そうして桶を叩きつけた場所は『Hill of the vat』と呼ばれるようになったと語られる。

(Vatは口の広い容器のようだ。軽く調べたものだが、桶の意味が出てきたのでここでは桶とする)これらはデュラハンが血桶を浴びせかける話に繫がるように思う。)

そして、クー・フーリンは自らの運命を悟りながらも死地に向かい勇敢に敵を倒していくのだが、愛馬を失っていく。まず、灰のマッハが槍で傷つくと直ぐに解放し別れた。敵は待ってくれず次にクー・フリンが致命傷を負うと、黒きセイングレンドがその姿を消してしまう。

(ここでの黒きセイングレンドはマッハと違い、クー・フーリン自身の何かを象徴して描いているように読める。マッハは槍で血を流し、クー・フーリンが物理的に解放しているのと明確な対比があるからだ。クー・フーリンの傷は内臓をこぼすほどの深さを持っているのだが、内臓に何かが宿る考えでもケルトにはあるのだろうか?内臓をこぼすと同時に姿を消したセイングレンドの存在は、馬を伴うデュラハンに繫がるように思える。クー・フーリンの馬は灰のマッハの方が有名にも関わらずだ)

先が長くないクー・フーリンは死ぬ前に自らの身体を岩に縛り付け、地に倒れる事も座る事も拒否し、最後まで立った姿でいる事を選んだ。そうした様子を見た敵対者は瀕死であってもクー・フーリンを恐れて近付けなかった。

そんな時、解き放ったはずの灰のマッハがやって来て、クー・フーリンを囲む男たちを虐殺していった。その灰のマッハによる虐殺はクー・フーリンの魂がそこから去るまで続いたそうだ。

幾ばくか時間が経ち、烏がクー・フーリンの肩にとまる事でやっとクー・フーリンが死んでいる事を敵対者たちは確認することになる。文字通りそうやって沢山の骨が折られながら、この名高い英雄の首は斬り落とされたのだった。

(ケルトの英雄たちはよく首を斬られている。だから殊更珍しいことではないのかもしれない。しかし紛れもなくこの有名なアイルランドの英雄も首を斬られた話を持つのだ。そしてこれも首無し騎士に繫がる要素となる。)

以上の事からクー・フーリンが首無し騎士、デュラハンの原型の一つとされても違和感はないのだ。

 

また、クー・フーリンにはデュラハンの図鑑記事で取り上げた、ガウェインと緑の騎士の元ネタが存在する。

 

『ブリクリウの饗宴』

これはクー・フーリンが他の二人の名高い英雄と、誰が最も優れた英雄であるか競った話になるのだが、ここで首を斬っても死なない男が出てくる。三人の英雄が不気味な男との断頭勝負に挑戦し、先に英雄側が首を斬り、後攻に不気味な男が英雄の首を斬る話だ。

いざ勝負を始めてみると不気味な男は首を斬り落としても死なず、城の中に広がる程の血を流しても平気で一度帰っていく。時間の猶予がある後攻の英雄は首を斬られる事を恐れ男との勝負から逃げだしてしまう。

クー・フーリンより先に二人の英雄が挑戦しあえなく逃げ出すと、いよいよクー・フーリンの番が回って来る。男はやはり前の二人の時のように首を落とされ血を溢れさせるが平気な様子で一度帰っていく。前の二人と同じように逃げる時間があるものの、クー・フーリンは男との勝負を投げ出さず男を待ち構えその頭を差し出した。すると、男はクー・フーリンを試すような行動をした後、クー・フーリンの英雄らしい態度を認め最も優れた英雄であると太鼓判を押すのだ。

こうしたクー・フーリンの話が、ガウェインと緑の騎士に与えた影響はとても強いものがあるだろう。また男は魔術師でありカドラック版まで網羅しているから驚きである。

クー・フーリンの話には、デュラハンに繫がるような要素が散りばめられている。普通に考えるならば首を斬り落とされる魔術師の男がデュラハンのように思えるが、クー・フーリンの特色が現代のデュラハンに間違いなく現れているように見える。

それはデュラハンと行動する黒い馬に、骨の鞭、血で満たされた桶だ。それはセイングレンドであり、海獣の骨で出来たゲイ・ボルグであり、死を予感させる血の桶である。

首無し騎士の話は様々な説話があるようなので、クー・フーリンもまた取り込まれていったのだろう。

 

クー・フーリンとルーの関係性について

まず最初に、クー・フーリンの所有する二頭の馬について書き記す。この馬たちは女神マッハ、太陽神ルーから送られたものという話がある。

一頭の名はdub(黒き) Sainglend (セイングレンド)

もう一方は Liath(灰の) Macha(マッハ)

色の形容と共に片方は明らかにマッハ女神の名がついている。黒い方も何らかの神の形容であり何かに由来する名の馬ということなのだろうか。これは単純に考えるとクー・フーリンの身元を神々が保証している事をあらわしているだろう。そして、これらの神々との関りはデュラハンにも受け継がれているようなのだ。

ケルトでは輪廻転生が信じられていて、マッハもそうであるが光神ルーもまた転生した化身を持つとされた。その化身の一つにクー・フーリンが数えられる。

なぜここで父であり転生前の姿かもしれないルーを取り上げるかというと、ルーは祖父であり父の仇であるバロールの魔眼を突いて殺しているからである。

ルーの邪眼殺しには複数の説があるが、最後に目を狙ってバロールを倒す話が多いようだ。

そこで思い出すのが、デュラハンが目撃者に見られたらその目を潰すとの逸話だ。加えて、デュラハンには黒馬の影がつき纏う。ルーの影響があると考えるのが自然ではないだろうか。

またルーに関わる者として、ヌアザがいる。ヌアザには妻としてヴァハ(マッハ)が存在し、ヌアザはノドンス(ガリア人の漁神)と同一視され水と関りが深かった。このことからルーの化身であるクー・フリンが手にする武器、海獣の骨で作られたゲイ・ボルグも“何故”海生物の骨で作られているとされたのか腑に落ちるものがある。

【読み飛ばし項目】ヌアザはバロールに殺され、バロールはルーに殺された。もしという、ヌアザがルーの父と仮定できる話をするならば、バロール(祖父)、ヌアザ(父)、マッハ(異母)、エスニウ(母)、ルー(子)、クーフーリン(孫)で綺麗につながるのだが、そうなれば化身クーフーリンのゲイボルグ(海獣骨)も、2頭の馬が与えられた理由も納得できる。あと、バロールはクロム・クルアハを生み出した話があったりして、この神々、crom dubhの系譜、つまり黒き神の一族じゃないかと邪推したり出来る。 因みにヌアザはダーナ神族、バロールはフォモール族、ルーはダーナとフォモールの血を引く神である。 ……こんな無責任なことは雑記にしか書けないな。 ルーにはキアフという父がいるのが有名だし。でも、エスニウはヌアザの妻だという異説が存在したりする。正直もう異説があり過ぎてお手上げな状態である。輪廻転生の考えと口伝による影響で、名高い無数の英雄達を神の生まれ変わりと話を混ぜてしっちゃかめっちゃかになった可能性高いと思われる。ケルト神話を調べて、よく分からないという方はここの点を気に留めておいてもいいかもしれない。外国のwikiを足掛かりに色々探したが、外国の方も異説に振り回されているようだった。ああ、それとブラッディボーン(骨要素)というブギーマンだがこれもクロム・クルアハが関係しているらしい。バロールがクロム・クルアハっぽいと考えてもアイルランド、ケルト神話は単純に考えてはいけないようだ。より詳しく知っているはずの本国の人たちが、結論を出せていないのだから。

ケルト人の持つ輪廻転生する考えが、高名な英雄を古い神格と同一視させ話を集約させた。それが時を経てクー・フーリンを主人格に話としてまとめられ、異宗教の流入と共に変化しアイルランドの妖精として枝分かれした。デュラハンはそうした枝葉の一つなのだろう。

 

※注意!

間違った情報が含まれている可能性があるのでご注意ください!あくまでも風聞、怪しい情報を含んだ考察です。

資料

The Cuchullin saga in Irish literature 著者 Hull, Eleanor

(デヒティネの血の桶がのってる話。1898年)

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