妖怪図 白面金毛九尾の狐

白面金毛九尾はくめんこんもうきゅうびの狐

 

日本では玉藻前たまものまえとして知られる妖狐。白い顔に金毛を持ち、九つの裂けた尾の姿が有名。 白面金毛という呼び方は、推測になるが玉藻前が狐に戻り退治された際、腹から仏(佛)舎利の入った金の壺が、頭からは白い玉が取れた話からの着想と見られる(神明鏡)。

日本三大妖怪に数えられる程の隆盛を持つが、その出自は外国であるとされる。実の所、玉藻前が通ってきた外国から日本への経路は複数の異説があり、更には尾の数が九尾ではなく二尾であると書物によってその姿が異なる様子を見せる。そうしたいくつかの姿を、その経路や出典と共に紹介したい。

 

神明鏡

鳥羽上皇、近衛院の御時のこと、久壽元年に仙洞より一人の化女が出て来きた。後に玉藻の御方と名を呼ぶ。天下無双の美人であり、天人の化現か聖衆(菩薩)の現身かと疑われる程だった。 その叡智は内外の書、 仏法世の法に暗くならぬ才人であった。 諸事の問い一つ一つに答え、 誠の見識を持つ者だった。そうこうしている内に、 玉体(鳥羽院)の具合が悪くなり日に日に重くなっていった。 典薬(医療)の頭を召して、尋ねたところお悩みは邪気に渡るものでございますと申し去る。


陰陽師の頭を召し、安倍泰成が占ったところ、玉藻の御方の所以と申した。
これは下野国那須野にあった狐だと。その狐は天羅国の斑(元の字は=歹+王+王)足王が千人の王の首を取って祭った塚の神である。 大唐では周の幽王の后、 褒姒となり幽王を滅ぼした。今この国に来て、 君を悩ましていると具申します。 どうすれば良いかというと太山府君をたてまつり、 御幣の役をさせ、 嫌がっても勅命であれば出てくるでしょうと。 そうしたわけで、 泰成が文を読み、御幣の役を玉藻の方は捨てて狐となって失せてしまった。


即時、三浦介、上総介、西東の国の名将を呼び、の狐の待つ那須野へ向かわせた。狐を天を翔け、地を走り死神ながらその首を射ち、狐を運び上洛する。都では御前にて那須野の時の装束を身に着け、赤犬を一匹駆けさせ射ってみせた。これを一騎犬追物と名付けた。
狐の腹には、金の壺があり中には佛舎利があって院へ進上し、額に白玉があって三浦介に給わる。尾の先二つあって、一つは赤かったこれを上総介に給わる。
狐の身体は宇治の宝蔵に納めたのだという。 那須の殺生石はこの狐の霊が変じたものだそうだ。

一騎犬追物の成り立ちの話と、二尾(一方が赤い)の狐で体ごと宝が諸々回収されて、殺生石は那須に残った霊とされている。

 

下學集

能藝門『犬追者』の項

昔、西の方に班足王がいた。その夫人は悪虐で千人の首を王に勧めて取った。その後支那の方に生まれ、支那の周王の后になる。その名は褒姒という。国滅ぼし、人を惑わせた。その死後、日本に出生する。近衛院の代で玉藻の前という。人を傷つけること極めて無い。(だとしても)後に白狐と化けて成り、人を害する事は誰もが思う事だろう。俗人は馬を駆って先立ち走犬を追わせた。
(走り犬で狐を追い立て)馬から射るのを試した。白狐はこれを知って(矢を避けようと)化け石と成る。
(空を)飛ぶ禽、(地を)走る獣は石の強い殺気にあてられると、立ちどころに倒れ死にこれを殺生石と呼んだ。
今は(その石は)下野の国の那須野ヶ原にある。犬追者はこれを起こりとして始るものだった。ただしこれは古老の口ずさむものによる。

※犬追者 馬の上から矢を射る競技。騎射三物の一つ

ここでの姿は白狐。犬追者の発祥の話として取り上げている。

 

絵本三国妖婦伝

かなり長いので簡略したものを書かせて頂く。

不正の陰気凝って一箇の狐となる。開闢より年を経てついに姿を変えた。その全身は金色と化して、面は白く九つの尾がある。名をつけて白面金毛九尾の狐という。元来に邪悪、妖気に生じる所ゆへ世の人民を殺し尽くし魔界となさんとす。

蘇妲己殷の紂王を惑わし、紂王は乱心する。呂子牙が照魔鏡で妲己を妖狐と見破っている。九尾は斬られたが殷は亡んだ。

その後、狐は天竺に至る。斑足太子を華陽夫人が誑かす。華陽夫人は妖狐で斑足太子の政道を惑わせた。その後、周の幽王の后、褒姒となり周を傾けついに日本へと来た。

泣いている所を優しい夫婦に拾われ水草の種により生じた者、みくぞの名をもらった。順調に育った藻女みくづめは才女として名を通し、鳥羽上皇に近付く。藻女から名が玉藻前に変わり寵愛を深く貰うが、鳥羽上皇が邪気にあてられ陰陽師泰親によって正体を暴かれる。

出て来たのは子牛ほどもある白面金毛の九尾であった。九尾は関東下野国奈須郡かんとうしもつけのくになすごおりに逃れる。

討伐に出るも手を焼き、安倍の泰親の祈祷によって姿を現す。 三浦介が犬追いもので訓練した矢が刺さり、上総介が槍を刺した。九尾の狐は命を落としたものの、たちまち一念の怨魂で毒石へ変じ、殺生石となる。毒があるものの近付かなければ害が無いとしてそこにそのまま置かれる。
そうして白面金毛九尾の狐は殺生石としてそこにあったが、高僧と会い心を変えた。今まで生きかわり死にかわり三千世界を魔界になさんとしてきたがと語り、往僧玄翁和尚による教化で解脱したことを喜ぶ様子を見せ、ようやく玉藻前の物語は終わるのだった。
古郷で里人神となり、玉藻大明神と呼ばれ社が建立された。

かなりの長編になり、玉藻前の生前の姿に妲己が加わっている。実はこれ以前に入れるべきはなしとして玉藻草紙がある。神明鏡、下學集では出て来ない和尚が玉藻草紙では出てくるのだが省いてしまった。並べると時代を経るごとに肉付けされていったことがよく分かるように思う。よく知られる白面金毛九尾という派手な妖狐は絵本三国妖婦伝で集大成となったのだった。妖狐の身体にあった金の壺、白玉を狐本体に加味することで派手さと殺生石の印象付けが強まっている。

こうした肉付けにより、初めは二尾、白狐として世間を騒がせ、大妖怪として九尾の狐は成長していったのだった。実際に那須高原に今も殺生石があり、玉藻稲荷神社といった九尾を祭る社がある。

資料

神明鏡 

作成 元和九年 (西暦1540年)

(成立自体は南北朝後期辺り(13⁇~1430)だという。古い本は写しが多い)

下學集 

作成 元和3年(西暦1617年)

(成立自体は文安元年(西暦1444年))

絵本三国妖婦伝

著者 高井蘭山  出版 明治18年(西暦1885年)

(成立自体は江戸時代1804年)

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